バランス麻酔における鎮痛度制御の研究

目的

麻酔は,鎮静(意識がないこと),鎮痛(痛みがないこと), 筋弛緩(動かないこと)の3要素が適切に達成されることが望ましいとされています. 現在はこの3要素を,鎮静薬,鎮痛薬,筋弛緩薬を用いて バランスよく調整する方法(バランス麻酔)が通常とられています. 本研究では,外科手術, とくに全身麻酔を必要とする日帰り手術の際に望ましい麻酔を行う, すなわち ことを目的として, 麻酔薬の投与速度を自動調整するシステムの開発を行いました. とくに,本研究では,適切な測定方法がない鎮痛度に注目し, 鎮痛度の測定方法の検討と, 鎮静薬propofolと鎮痛薬remifentanilの相互作用を考慮に入れた 鎮静度・鎮痛度の同時制御法の開発を行いました.

研究内容

本研究では,以下の点について研究を行いました.

  1. 日帰り手術における鎮痛度指標
  2. 麻酔薬propofolと鎮痛薬remifentanilの相互作用を 考慮に入れた鎮静度・鎮痛度変化のモデル
  3. 鎮静度と鎮痛度の同時制御方法
  4. 各患者の鎮静度・鎮痛度変化の同定法

以下,それぞれについて説明します.

1. 日帰り手術における鎮痛度指標

適切な鎮痛状態を維持するためには鎮痛状態を正確に反映した指標が必要です. 鎮痛度指標としてはいろいろなものが提案されていますが, 日帰り手術で利用でき,十分な信頼性のある指標はまだありません.

この研究では, 現在までに鎮痛状態を知ることができるとされているさまざまな指標について, 日帰り手術時の痛みがあったと考えられるときに変化し, かつその大きさを反映しているものを調べました.

その結果, 脈拍と脳波に基づくEntropy Difference [5]が 痛みのあるときに主に変化していることがわかりました. ただし, 痛みの大きさについては単独では必ずしも適切に反映していないと考えられたので, これら二つを組み合わせた指標を構成しました.

手術中の 脈拍と脳波に基づくEntropy Difference (ED)をプロットしたものを下に示します. この図から, 痛みがあるときには脈拍(Pulse)とEDのいずれかが大きくなっていることがわかります.

痛み刺激があるときの脈拍とED

そこで,この図の基準点(痛みのない安定した状態に対応)からの距離が 痛みの大きさを反映しているものとして,

指標の式

という指標を鎮痛度指標として提案しました. ここに,Aは鎮痛度指標の値,Pulseは脈拍,Pulseminは脈拍の最小値, αは重みです.

この指標を用いて測定した鎮痛度は必ずしも精確ではありませんが, 鎮痛薬投与速度調整のためのある程度の目安になると考えられます. 現在,より精確な指標を構成するために, 脈波の振幅や心電図のR-R間隔などを用いた指標も含めて 更なる検討をしています.

2. 鎮静度・鎮痛度変化のモデル

日帰り手術でよく用いられる 鎮静薬propofolと鎮痛薬remifentanilには相互作用があり, 相互作用を考慮に入れないと適切な制御が行えません. 本研究では,この相互作用を適切に考慮に入れるために 下図のような薬物動態モデル(投与した薬が体内でどのように分布,代謝, 排泄されるかを表すモデル), 薬力学モデル(薬が作用する体内部位での薬の濃度とその効果の関係を表すモデル), およびむだ時間(薬を投与してから反応が測定できるまでの遅れ時間)からなる モデルを考えました.

モデル

薬物動態モデルの部分はpropofolとremifentanilを併用したときの データに基づいて構成されたBouillonらのモデル[6]を用いました. 薬力学モデルとむだ時間の部分は本研究で新しく構成したもので, 相互作用とそれぞれの薬の影響の遅れを考慮しています. 薬力学モデルにおける相互作用はそれぞれの薬の濃度に比例するとして扱っており, むだ時間も含めて以下の式で与えられます.

薬力学モデルの式

ただし,BIS, Aはそれぞれ鎮静度,鎮痛度を示す値, BIS0, A0はそれぞれ鎮静度,鎮痛度の薬の投与前の値, BISmax, Amaxはそれぞれ鎮静度,鎮痛度の最大低下量, Lはむだ時間, yp, yrはそれぞれpropofol, remifentanilの作用部位濃度, 添字のp, r, B, Aはそれぞれpropofol, remifentanil, BIS, Aを表しています.

3. 鎮静度と鎮痛度の同時制御方法

本研究では,モデル予測制御法を用いて 鎮静度と鎮痛度の同時制御システムを構成しました. 薬力学モデルが非線形であり,またむだ時間もあるので, それぞれの薬の最適な投与速度を求める計算は容易ではありませんが, 望ましい鎮静度と鎮痛度の軌道を 作用部位のそれぞれの薬の濃度の目標軌道に変換することで計算時間を短縮し, 実際の制御が問題なく行えるようにしています.

下に自動制御を行ったシミュレーション結果を示します(緑の1点鎖線が 鎮静度と鎮痛度の目標レベルです). 鎮静度と鎮痛度が適切に制御できていることがわかります. また,患者の薬に対する反応には個人差がありますが, 個人差があっても問題なく制御できることを確認しています.

シミュレーション結果

4. 各患者の鎮静度・鎮痛度変化の同定法

上記のように, 患者の薬に対する反応の個人差にも対応できる制御システムを作りましたが, よりよい制御を行うためには, 薬に対する反応をより精確に知ることが望まれます. そこで,開発した制御システムには麻酔を導入する際のデータから 各患者の薬に対する反応をある程度調べる機能を付けています. 短時間のデータからすべてのモデルパラメータを求めるのは不可能なので, 適切な制御を行うという点から重要ないくつかのパラメータについて 求めることにしています.

ただし,現在の方法では同定に必要な時間が長く, また必ずしも精確な同定が行えないため, 短時間でかつより精確な同定が行える方法について 継続して研究を進めています.

本研究に関する発表

[1] 古谷栄光,楠戸省吾,白神豪太郎,荒木光彦,福田和彦: 全身麻酔時の鎮痛度制御のための鎮痛度指標の検討; 第51回自動制御連合講演会, 818/819 (2008)

[2] 古谷栄光,楠戸省吾,白神豪太郎,荒木光彦,福田和彦: 日帰り手術における静脈麻酔鎮静度・鎮痛度制御の研究; 第53回システム制御情報学会研究発表講演会, 351/352 (2009)

[3] 鶴岡敬悟,古谷栄光,白神豪太郎,廣田喜一,福田和彦: モデル予測制御を用いた静脈麻酔鎮静度・鎮痛度制御; 第54回システム制御情報学会研究発表講演会, 665/666 (2010)

[4] E. Furutani, K. Tsuruoka, S. Kusudo, G. Shirakami, K. Fukuda: A hypnosis and analgesia control system using a model predictive controller in total intravenous anesthesia during day-case surgery; SICE2010, Taipei, 223/226 (Aug. 2010)

参考文献

[5] D. M. Mathews, P. M. Cirullo, et al., Feasibility study for the administration of remifentanil based on the difference between response entropy and state entropy, Br. J. Anaesth., 98-6, 785/791 (2007)

[6] T. Bouillon, J. Bruhn, et al.: Non-steady state analysis of the pharmacokinetic interaction between propofol and remifentanil, Anesthesiol., 97, 1350/1362 (2002)